社会学のゼミの卒業生
わたしは多分社会学系のゼミを卒業した、筈。
大学なんて一個しか行ってないから他の大学のゼミがどうなのかわからないので、違うこともあるかもしれないけど、社会学系のゼミだった。
ゼミがすごいあってると思ってたし、大好きでした。
わたしの好きなそのゼミ活動っていうのは、社会現象をほら、今こういう人たちがいて、こういう事になってる。それってこうこうこういう理由だと思うんだよ、っていうのを過去の論文とか文献、哲学者の発言とかまで引用してまとめて行く論文を書く作業。
だから社会学者さんからしたらそりゃ社会学ちゃうで、って思われるかもですが、わたしの話はその社会現象をまとめる作業のことを指します。
余談ですがもともと今はやりの?もうはやってへんのかな?
マウンティング女子的な部分がわたしにはあって、だからこういうのが好きだったのかなとも今はおもってるんですが。。。
この作業って自分の意見を展開するのに必要な証拠集めみたいな作業なんですよ。
この社会現象を説明するのに、この文献とこの文献とこの文献使おって決めれるのは自分だし。
ま、そこを教授に指摘していただいたりゼミの仲間に指摘されたりして精査されてくわけなんですけど。
どうして、今この話なのかというと、社会に出てから、大学の知識を活かすならもっと経済学部とか行っときゃ良かったのかなーなんて思う事が多々あったんですよ。
でも、わたしはなんかネットショップしてるんですけど広告や他のツールに対しての認識、というかフィードバックというか分析というか、が上手いって言われるようになって、最近分かったんです、これってゼミ活動通じて学んだあの論文を書く作業に似てるからじゃないかな??って。
ネットショップの広告の場合とにかく広告をうって新規を獲得し続ける事に全力投球なんですけど、だいたいとにかく広告、って感じになるんですよね。
でも、私たちのゼミで論文を書くときってまずこの論文で論ずるべき対象者の定義をするんです。
例えば今や一般に普及した草食系男子、という言葉やオタク、という言葉でも、
この論文でいう草食系男子とはこういう人の事ですよ、
オタクとはこういう人のことです、って定義をします。
先ほど私がちょうど「私の指すゼミ活動とは論文にまとめていく作業のこと」と定義したあんな感じです。
そうじゃないと書き手と読み手の認識がずれていくので。。。。
私が思うにネットショップの広告もそうだと思うんです。
とにかく広告だ!
じゃなくて、まずこの広告はターゲットはここですよ。
って決めないと費用対効果も合わないし、打ち合わせしてても広告内容がブレブレになってまとまらない。
この広告は新規の獲得用で、ターゲットはこういう人。
こっちの広告はリピーター用ってばっつり決めた方が費用対効果も合うし内容もブレない。
と思うわけです。
これってできてるようでなかなか出来てないな、と自分自身も周りも顧みる瞬間でした。
そして分析ですけど、論文を書く際の証拠の文献集めに似てるんです。
分析なんで、答えはないのですがここがこうなってるのはこうだからじゃないかな?っていうのが、
元々無いと証拠の文献は集められませんから、そういう仮説を立てるのがまず得意なんだと思うんです。
社会学部の学生さんよ、社会に出てから使える知識なんてないなんて諦めないで〜!
こと分析(と対策)に関しては客観的な視点が生かせると最近自分も少し自信がついたところです。